こうして私は精神科医になった

2024.4.17


今は休刊になった科学評論社:第20巻第1号(2012年1月発行),

精神科 特集『社会の中の精神療法』本文中,「一,はじめに」に記した以下の一文を,ここに再掲載する。

 

 

一,はじめに

 

 子どもと家族の関係に筆者には特別の思い入れがある。そもそも子どもと家族の関係に関心をもったことがきっかけで,精神科医の道を歩んできた。

 

 医学部生の頃,家庭教師で多くの子どもたちに関わった。期せずして多くの親子関係に接した。夕餉の食卓に同席することもしばしばで,時には一家の家族旅行に同行した。正に青年期さなかにあった筆者のことを,彼らは,成人扱いではなく,子ども扱いでもなく,ほどほどの距離と待遇の中で種々の家族と接した。それらの体験は,今ある専門性の基盤因子の一つになっている。

 

 親が子どもに向けて発する言葉や態度が,個々の家族で違っていた。親は,何を基準に言葉を選び,行動を決定しているのだろうかとの疑問が,沸々と私の中で芽生え始めた。1960年代半ばの頃のことだ。時を同じくして英国で,Winnicott, D.W.(1896‐1971)が,環境としての母親の役割を概念化し始めていたと知ったのは,精神分析を学び始めて数年を経た頃のことである。

 

 子どもの言葉や態度は,親の言葉や態度を映し出していた。親たちは子どもたちに何を期待し,何を伝えようとしているのだろうか。子どもたちは親の言葉から,態度から,何を受け取り,何を拒否し,あるいは拒否できずに圧倒され支配されているのだろうか。微細なことから大きなことまで,その数々を目の当たりにして私の青年期が過ぎる頃,関心は児童青年期精神医学の道へと集約されていた。

 

 

 

 

 

 以上は,もはや12年を過ぎた過去の記載だが,子どもたちのメンタルヘルスへの関心は微動だにせずに精神科臨床に携わってきた。社会を引き継ぎ世界を引き継いでいくのは子どもたちだから。

 

 

 

2024年4月17日  院長 小林 和