半世紀前の精神科医療

2025.1.16


 もっぱら前を向いて歩んできた精神科臨床医の道。難聴が嵩じて、専門とする精神療法が困難になってきた。臨床第一線の働きには見切りを要する。

 積み上げた仕事の残渣。整理に取り掛かっていたら、以下の、原稿用紙に手書きした学会レジメが手を止めた。1982924-25日、病院精神医学会で報告したものだ。

 困難を伴いながら開業という実験に取り組み、今日に至った基盤がここにある。

2025.1.16 記    

 

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入院精神科医療の1つの試み ―家族を治療に参加させる事の意義―  

                  ◯ 小林和(神戸・隈病院、神戸精療クリニック) 

                    隈寛二(神戸・隈病院 )    

 

10数年間病室から出た事もなく過ごしてきたT子が、造語を混じえながらとはいえ、妄想を語り、毎朝化粧をして、私が出勤してくる迎えの車を病院玄関口で待ちはじめた時、外の道を歩かせようと試みた。年2回面会に来る妹S子に、《T子と病院の外の道を散歩してきて欲しい》と依頼した時、

「そっとしておいて欲しい」と、S子は頑強に断った。理由はこうだった。

 10数年前、一生治らないと宣告された。T子は離婚のやむなきに至り、乳児は両親がひき取った。その両親も今は老いて介護を要する。S子自身、今やたった1人の働き手であり支柱であり、結婚はおろか何の余裕もない現状である。

 結婚適齢期をとうにすぎたS子の、化粧っ気のない顔、束ねた髪、古びた運動靴。いかにも10数年の歴史の前に、返す言葉がなかった。

一生治らないとの宣告で、精神科医はT子をこの家族から抹消した。S子は、人々が墓前に参るように、生ける屍のT子を10数年間見舞い、それぞれがあきらめた生活を受け入れてきた。そして今、《T子を連れ帰っての生活を始めよ》とまた精神科医が云う。

 =初期治療の過ちをどう防げるか=以来私の課題になった。そして今、一つの試みを実践している。その報告である。

本院は、病床数50床の甲状腺専門病院で、入院患者はほとんどが入院日数1週間前後の外科手術の者である。この環境の中で、演者が勤務しはじめたS544月から精神科患者の入院治療を試みた。入院の条件を、“少くとも2週間、24時間中家族が交代であっても付き添えること”、とした。

 この考えの背景には次のことがある。 

 精神疾患の背景には、家族との心理的繋がりが大きく関わっている。発病によって患者が精神的安定を失っている時こそ、家族の支えが有効かつ必須である。ところが家族は、症状の発現で、いかに患者を支持し保護するべきかの指針を見失っている。ここに、家族をして患者を支持し保護する指針を導入する事は、精神科医療の基本であろう。家族間の繋がりをいかに断ち切らず、日常性をいかに保ち続け得るかの試みである。

 こうしてS544月~S575月間の入院患者数は63人で、ほぼ全員が軽快退院した。まだ3年余の経験で結論するには不充分だが、日常性を保持した中で家族との接触をむしろ密にした医療が、予想以上の効果を発揮しているのに、実は私自身が驚いている。

 12時間だけの睡眠で、数分おきといわんばかりに看護者を呼びつけ、夜間でさえ足音高く院内を走りまわる急性期躁状態の患者に付き添う家族に、周囲の患者達は、非難よりは同情とねぎらいの言葉をかけた。

幻聴のまっただ中で病室を籠城してたてこもった患者が、廊下で会う他患者に挨拶を返すようになり、窓や扉の目張りを自ら解き、他患者と交わり、「私はノイローゼになっている」と病識を明らかにして自立して行った。

症例の1つ1つを検討していると際限がない。ともかく、この1つの実験を通して以下の結論を導く段階にある。

1)幻聴や妄想、興奮など、患者達がいわば奇異な行動をとると、家族は不可解な異なった対象として患者を分離しがちである。ここで、幻覚妄想や不安興奮状態などは病気の1症状で、やがては治まる事をはっきりと家族に告げ、その際の対応の仕方を指示しさえすれば、彼らは精力を投入して家族の一員である患者を保護援助し続けるものである。

2)以上は、社会にも適応し得る。困難な一定期間の対応にとまどい、やもすれば患者を排除しそうになる人々に、病気の症状としての説明と対応の仕方を指示していると、彼らは回復を待ち、援助するものだ。

3)患者を初期治療の段階で家族や社会から分離せずにいると、社会復帰の問題はむしろ必要性を失ってくるのかもしれない。

4)日常性を保持した中で行動し続けていると、患者達は人間関係に支障をもたらす自らの弱点を発見しやすいものと考えられる。

 

幻覚妄想の混乱状態で家族にかつぎ込まれた患者は、ひと月後、当人かと誰もが見紛う紳士になって退院して行った。その際にこう云った。

「こんなに皆に親切にされたら、病気をやってる訳にいかん。元気にならんと皆に申し訳ない」と。

この言葉は、治療理念を云い当てている。奇異な言動として彼らを排除する事なく、病める存在としての彼らの訴えにきめ細かな対応をした家族と看護者をはじめとする医療者側の態度が、何にも勝る治療効果をあげている。看護者たちに知識としての精神科医療を投入した訳ではない。当然の事なのだが、病める人々へのきめ細かな態度で術后の患者達に接している同じ態度で精神科患者にも接しているだけの事だ。

 

 閉鎖病棟から開放病棟へ向けて模索してきた今日の病院精神科医療に、1つの発展がみられた事は確かである。今後、急性期や治療初期に、四六時中家族が付き添うことを促し支援して、家族間の交流を断ち切らぬ援助を試みる精神科医療、ひいては、患者の日常性を保持したままでの医療を一般化させる事が、今ひとつの課題ではないかと考える。