** 子どもたちに与えて下さい、独りぼっちの時間 **
何しろ忙しい子どもたち。そのことに気付いたのは1980年代後半だった。
「落ち着かない」からと母親に連れられてきたその少年は、まだ小学2年生というのに、「死ぬのが怖い」と言った。「生きる」ことさえ何のことだか分らないだろうに。
毎週一回、一時間を遊戯療法で過ごした。治療もかなり進んだ頃、彼に問いかけた。
『ねぇ僕! 一日、何でもしていい時間をあげたら、何をしたい?』
漫画を読みたい・・・というだろうか? サッカーをしたいって言うだろうか? ××パークに行ってみたいって言うだろうか? TVを見たいっていうのかなぁ・・・?
私の想像力の乏しさにあれほど打ちのめされた経験はない。
「寝たいっ!」と、即座に彼が応えた。
『寝たいっ??? 一日じゅうよ?』
「一日中寝たい。」彼がもう一度、はっきりと応えた。
小学2年生の彼が一日中寝たい・・とは、どういうことなんだろう??
子どもたちの生活時間に関心を持ち始めた。あれから、30年。
TVはもはや、自室に1台になりつつある。携帯電話は大人だと2台3台、子どもたちも所持するようになった。いつでもどこでも情報を発信し、情報を取得し・・・。眼には入らない電波はともかくとして、情報の渦に取り囲まれて、今われわれは生きている。
そして今、私は子どもたちの成長が心配だ。彼らの日々に、静けさがない。
絶えず音を聴き、絶えず誰かと話し、絶えず何かを見ている彼ら。沈黙の時がない。静まり返った時間を、静まり返った空間を、彼らは知らない。体験する暇(イトマ)がない。
子どもたちの心の成長が心配だ。
その人らしい、その子らしい思考は、澄んだ、澱みのない静けさの中で、その人の脳細胞が、その子の脳細胞が、何かを求めて静かに動き始める時に、生まれる。
なぁ―んにもせずに、独りぼっちでいる時間。
情報の渦が奪ってしまった。大人からも子どもたちからも。
彼らに、子どもたちに与えて下さい。静まり返った時間を、静まり返った空間を!
彼らの脳細胞が、静かに動き始める時を待つ静かな時間・・・・・を。
どっちに向かって生きようか迷っている脳細胞が、動き始める時間を・・・。
待ってあげて下さい。
その子らしく、その人らしく、彼の彼女の人生を生き続けられるように!!
これから生きる80年・・・。
2010年8月25日 猛暑の夏の昼下がり
院長 小林 和